kinokocakeオカルト編

こっちは趣味の話中心

今テレ朝でやってたドラマが意味わからん

テレ朝のこの手のドラマの意味不明さが癖になって中毒になりつつあるのだが
今回のもなにこれ
政治的暗殺と思われる事件とミソ野郎による女性監禁事件があって、関係なさそうに見えて関係あったのは構成が上手かった。
しかし市長の過去の事件は関係ないっていうかなんで被害者のプライバシーを根掘り葉掘りする必要があったのかさっぱりわからん。

新恐竜カムイサウルス・ジャポニクス爆誕!

http://usi32.com/archives/74624

ソースはいつもの愛読オカルトサイト。


カムイサウルス・ジャポニクスというネーミングは、(ダサいと言う意見もあるようだが)無駄にカッコイイ。
まず「カムイ」で中2病魂をくすぐり、「サウルス」で童心に帰り、「ジャポニクス」でインテリを気取れる。
つまり、子供→思春期→大人 という、人生の節目節目がこの名前に凝縮されている。
アイヌ語の「カムイ」とギリシャ語(ラテン語だっけ?)の「サウルス」が結び付くのも、文化の融合がどうちゃらこうちゃらで、なんちゃらかんちゃら。
ただそこが物議を醸しそうな所もあって(まぁ物議は醸さないとは思うが)アイヌ語で「神」を意味する「カムイ」を冠しながら「ジャポニクス」というのは、「シャモによるアイヌ文化の簒奪」と受けとれなくもなく、植民地主義的ななんちゃらかんちゃら。
そういう批判はあっても悪くないと思うけど、そういう事を言う人が出てくると必ずネトウヨがギャーギャー興奮して騒ぐんだよな。
アホか。
俺は、「カムイサウルス・ジャポニクスという名前が単純にカッコイイ」という無邪気な感想と「それが批判されたとしても、それはそれで仕方ない」は、両立すると思うんだけどな。
まだ誰1人として批判なんかしてないうちから勝手に妄想してますが。

ネッシーは実在した!という証拠からなぜか「ネッシー存在せず」という結論へ

http://www.jiji.com/jc/article?k=2019090501201&g=int
>ロンドン時事】「ネッシー」は存在しなかった-。英北部スコットランドネス湖で目撃情報が相次ぎ、20世紀最大の謎の一つとなった「未確認生物(通称ネッシー)」をめぐり、国際的な科学者チームは5日、「正体はおそらく巨大なうなぎだ」と発表した。未知の生物の存在を示す科学的な証拠は「全く見つからなかった」という。

以下ソース


http://usi32.com/archives/74617

こちらは、このニュースの反応をまとめてる、いつもの愛読オカルトサイト。

やはり俺と同じ事を考える人も、そこそこいるようだな。

ネッシーの正体は巨大ウナギだった」という情報から「ネッシーは存在しなかった」という結論を導き出すのは、普通に考えて論理的におかしいのが、なぜわからない?
ウナギという正体があるのなら、そのウナギこそが「ネッシー」なのであり、ネッシーという名で呼ばれたウナギが確かに実在した!という結論になるのが普通というか、
そういう結論にしかなりえないのだが?
ネッシーの正体はウナギだった」という事実をもって否定されるのは、「ネッシーの正体がウナギ以外の何かである」という説であって、「ネッシーの存在そのもの」ではないはずだ。
もったいぶってても意味ないからぶっちゃけ言うと、「ネッシーの正体がウナギだからネッシーは存在しない」という場合の「ネッシーの定義」とは「絶滅したはずの古代生物プレシオサウルスあるいはその近縁種の首長竜の、生き残り」であり、
「正体がウナギ」であることをもって「首長竜としてのネッシー」の存在が否定されたと言いたいのだろう。
しかし今回たまたまウナギとDNAが一致したからといって、ウナギ以外の生き物がネス湖に存在しないことにはならないし、
そもそもネッシー否定論の中には「ネス湖はそんな巨大な生き物が住める湖ではない」という話もあった気がするのだが?
よくわからんけどウナギとDNAが一致する云々はたぶん「理論上はそうなる」という話であって、伝説のネッシーに匹敵するほど巨大なウナギが実際に発見されたわけでもないのだろう?
「首長竜も巨大ウナギもいない。よってネッシーはいない。」ならまだわかるんだけど、なんかはじめから「ネッシーはいない」という説を無理やり引き出さすために無理してひねり出した説のような気がして感心しない。
みんな言ってるとおりそんな巨大なウナギがいるならそれはそれで立派なUMAだし、実は巨大ウナギ説ってのは昔からあった。
首長竜説なんていろいろあった仮説のひとつにすぎず、他にもいろんな仮説があって、「首長竜が生き残ってるなんて非現実的だ。」としながら巨大ナメクジ説とか巨大ウミウシ説とか、
そんなん首長竜より非現実的だし怖いしキモい説がいろいろあった。
カワウソ説もあったな。
べつに巨大カワウソではなく、有名なネッシーの首の写真は実は言われてるよりかなり小さくて、カワウソの尻尾なんじゃねーかという説。
それが当たってたら、そのカワウソがネッシーという名のカワウソであり、やはりネッシーは実在したことになるな。
何が言いたいかって、べつに何がなんでもネッシーはいる!と言いたいわけでもなく、いない!と言いたいわけでもなく、
首長竜説という数ある仮説のひとつが否定されたことをもって存在そのものを否定しようという、そういう理屈が気に入らないのだよ。
しかも否定するには弱いというか、本当にウナギなのかあ?ってのもあるし。
たかがオカルトネタでマジギレすんなとは言わせない。
Twitter見ててもあるあるだけど、こういう、ある一点を論破したことで相手の全てを否定し完全勝利した事にするような論理の展開する奴らばっかりだし、
そいつに論破された(事にされた)ほうも同じ思考回路なわけだから、論破されまいとするあまりひとつの説に固執していかに正しいかを無理やりアクロバット防御してどんどんおかしなこと言い出したり。
ネッシーは存在するか、しないか」と「ネッシーは首長竜なのか、他の何かなのか」を区別するような訓練を日頃からしてれば、Twitterのマヌケな論破大戦に巻き込まれず悠然としてられるのではないでしょうか?
オカルトとは「信じるか、信じないか」ではなく、高度な思考実験なのであります。
あとオマケで細かい事言うようだけど、プレシオサウルスなどの首長竜はよく恐竜の一種だと誤解されがちですが、
恐竜とはまた違う種類の生き物なのです。
細かいようですが。

【タイムラグ】2019年の若者が初期ボカロや東方などを良くも悪くもとてつもない大昔の伝説のように感じるのは、当たり前

https://twitter.com/Wahoshiya/status/1105026309204324353?s=19

これ。

いや2000年頃には既に「グランジも今やオールディーズ」とか言われてたからそんなもんじゃね?
オールディーズ映画の定番アメリカングラフィティは1962年が舞台だが57年頃のバディホリーとかが既に古典扱いらしい(見てない)
初音ミクの登場は2007年だろ。
今は2019年。
例えば1979年に1967年の曲がどう聞こえたかってことだよ。
さっきのアソシエイション再結成ライブを参考にセヨ。
1989年に1977年の曲がどう聞こえてたか?
「ディスコでフィーバー!ナウなヤングがハッスルハッスル!」なんてのはめっちゃダサく感じてネタにされてたし、
ピストルズとかのパンクなら伝説になってた。
2019年の若者が初期のボカロ曲に感じるのもそういうもの。
てか1989年に高校生だった俺らは、80年代初頭の竹の子族( )とか横浜銀蝿とかメチャクチャ古くてダサくてネタにされてたし、東京ロッカーズ( )とかYMOあたりは遠い昔の偉大な伝説だった。
今の小学校にとってのボカロや東方ってタイムラグからしてそれじゃん
オールディーズのコンピが最初に出たのは1960年とかそのへんで、オールディーズは当時から既にオールディーズだったんだなと
1962年あたりには既に「ドゥーワップリバイバル」なんてのが起きてた。ドゥーワップって50年代の流行な。
1962年を伝説的な大昔みたいに描いたアメリカングラフィティは1974年の映画なんだよ。
ボカロとか東方とか今の10代にとっては十二分に大昔じゃんよ
アメリカングラフィティ(見てない)には「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わったんだ!今時のビーチボーイズとかあんなのはロックンロールじゃねえ!」とかいうセリフがあったらしいが(見てないから知らん)
最近ボカロ世代が「ティックトックのガキどもはボカロの曲をティックトックの曲だと思ってるからけしからん」と激怒してるのを見て、良くも悪くも歴史が繰り返されてるのを実感した。
パンクの頃にも77to82なんてのがあって、ほんの5年前が大昔の伝説扱いだよ
モンキーズのアルバムに「ファンの子供達の親世代のノスタルジーを刺激したれ」という目的でロックンロール的な曲が混ざってるんだけどロックンロールは1955年あたりからの流行、モンキーズは66~68年。
10年ちょいしか経ってないわけ。
わかる?
なんだったら89年デビューのフリッパーズギターは84~85年あたりのネオアコをとんでもない大昔の音楽を復活させたかのような大騒ぎ。

そういうことだ。
あきらめろ。

ハル・ブレイン死去

「米ドラマーのハル・ブレイン氏が死去 90歳」 https://twitter.com/i/events/1105341987706744832
レッキング・クルーのメンバー 名セッション・ドラマーのハル・ブレインが死去 - amass http://amass.jp/118062/
ブライアン・ウィルソンリンゴ・スターら、亡くなったハル・ブレインに追悼の意を表明 https://nme-jp.com/news/69891/
ハル・ブレイン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3

>60年代初頭にはフィル・スペクターのセッション・メンバーとなり、その後はアメリカン・ロック&ポップスの膨大な数のレコーディングに参加。『Modern Drummer Magazine』の2017年の特集によると、6,000枚のシングルを含む、35,000以上のレコーディングに登場しています。




「レッキング・クルーのメンバー」とか言うとあたかも「レッキング・クルー」というバンドなりユニットみたいなのが存在したかのような誤解を生むけど
リアルタイムでは誰もそんな認識してなかったし、
ジャズとかならともかく普通のポップスとかのレコードにいちいちどの楽器を誰がやってるとかどこにも書いてなかったから
誰がドラム叩いてるとか誰も知らなかったし関心すら持ってなかったはず。
逆に言うとそんな時代に、インターネットも何もなかったのにいちいちそこまで調べて知ってた大瀧詠一とか山下達郎とかの先人がそれだけ偉大だったのだよ。
この時代はバンドものですら実際にはそのバンドのメンバーではなくスタジオミュージシャンがモノカキで言うところのゴーストライターみたいに変わりにやってるのが当たり前の風潮だったからね。
なんでレコードでは完璧なのにライブではグダグダなんだ?っていう場合はそりゃレコードでは違う人がやってたんだから当たり前だっていう。
公式にはそのバンドのドラマーが叩いてることになってるドラムが実際にはハル・ブレインだったというわけ。
べつに彼らだけじゃなく当時はそういう覆面スタジオミュージシャンみたいなのが世界中に何人もいたのだが
特に優秀で多くのヒット曲に関与してたミュージシャンが後年「レッキング・クルー」とか呼ばれるようになったわけで
当時から自ら「レッキング・クルー」と名乗っていたわけではない。
あたかも「60年代70年代の曲はほぼ全てレッキング・クルーが演奏してた」かのように言われがちだけどビートルズとかは普通にビートルズ自身の演奏だし
そこは色々なのだよ。


このへんの事情に関しては「急がば回れ99」という本で色々知ったのだがこの本は山下達郎とかの先人からメチャクチャ酷評されてたから逆に余計に信頼できる。
推理モノっぽさもあるし、
本題以外の部分で今の自分の基本的な人間観に多大な影響を与えている。
ストーンズ信者のオッサンに絡まれたくだりが特にそれ。
自他の区別のつかない幼稚な大人はダメだという著者の考え方がその後の我が人生の大きな指針となった。


話がそれたついでに


「愛のさざなみ」は、なぜロス・レコーディングされたか?~名ドラマー、ハル・ブレイン起用で島倉千代子をよみがえらせた浜口庫之助 http://www.tapthepop.net/kiyoshi/90734

これ。
一瞬すげータイミングだなと思ったら2016年の記事をハル・ブレインの訃報で再アップしただけだった。
それはともかくハル・ブレインよりも「ハマクラすげー」になってしまった。
受勲を断った話とか、ジャックスの「ロールオーバーゆらの助」でディスられてる人物像とは正反対じゃねーか。
「売れてるもの=資本主義の豚=絶対的な悪」という単純な構図に陥らないように気をつけねば。

【ビーチボーイズ】暗黒の70年代…世間にとってはどうであろうと俺にとっては名盤が続出

そして70年代。
レコード会社も移籍して、で、そことの法的なめんどくせーいろいろのせいで長年再発もされず放置されてたりした緒作があるんだけども、
この時期こそがまさに、本当に心底ビーチボーイズが好きな気持ち悪いマニアにとっては最高なんだけども地味すぎて初心者にはおすすめできない、そんな隠れ名盤の宝庫なのですよ。
とりま
サンフラワー
サーフズアップ
ラブユー
MIU
このへんは個人的には下手すると60年代の全盛期の作品以上に気に入ってたりするが、
もちろん、初期のキラキラしたヒット曲の数々や、歴史的名盤ペットサウンズを差し置いてまで、真っ先に聴くようなものでは、ない。
ない。
ない。

この時期のアルバムでオランダと15ビッグワンズはまだ全曲は聴いてないんだけど、聴かなくてもだいたいどんな雰囲気か予想できちゃうからヤバい。

カール&ザ・パッションズも良いです。
これたぶん、カール&ザ・パッションズというバンドのソー・タフというアルバムとしてリリースしたかったんだよな。
だがそんな絶対売れない策略はレコード会社がユルさず、ビーチボーイズの「ソー・タフ~カール&ザ・パッションズ」というアルバムとしてリリースされた。
しかも内容がまた地味すぎるから、ペットサウンズの再発版と抱き合わせの2枚組として。
66年当時は(当時の別のレコード会社だとはいえ)売れねぇからベスト盤と競合させて潰そうとしてたペットサウンズも
この時期になると逆に「売れそうにないアルバムだからあの歴史的名盤のペットサウンズと抱き合わせにしよう」という発想になるんだから、手のひら返しというか、時の流れというか。
ソー・タフは、南アフリカ出身の2人の黒人の新メンバーをフィーチャリングした、
ビーチボーイズのアルバムだと思って聴くと地味すぎるしまるで別のバンドみたいで違和感あるのだが(だからカール&ザ・パッションズという別のバンドとしてリリースしようとしてたんだろうなと思うのだが、)
そういう先入観を抜きにして、「ザ・バンドとかオールマンブラザーズバンドとかに影響されて登場した70年代初頭によくありがちなバンドのアルバム」だと思って聴けばそこそこよくできたアルバムなんですよ。
この説明で伝わるかどうかがわからんのですが。

あと、
ビーチボーイズのコアなファンならみんな「最高傑作か、または、ペットサウンズの次に傑作」と認定するであろうサンフラワーと
またもや怪しい取り巻きに仕切られたけれどもそれを越えた良作であるサーフズアップと
後半は「シンガーソングライターとしてのブライアン・ウィルソン」を堪能できるラブユーと
作者であるビーチボーイズのメンバー自身から「完全な失敗作」と切り捨てられた不幸な名作(判官贔屓か知らないけど個人的には全曲最高だと思うのだが)MIUと
これらについてはまた気が向いたときじっくりネチネチ語らせてもらう予定。